AI時代は、「誰が書くか」がますます大事になる。
Substackで記事を書くことの、本当の意味とは。
最近、自らの情報収集の仕方が明らかに変わってきたのを感じる。
その原因は、間違いなく「AI」だ。
情報を収集する側の体験が変わってきているということは、それは同時に情報を提供する側にも変化をもたらす。
ここ数日で読んだSubstackの記事で特に印象に残っている2本の記事は、いずれも「AI時代に書き手としてどうあるべきか?」をテーマにしたものだった。
1つは Jasmine Sun の「The independent writer’s advantage in the age of AI(AI時代における独立した書き手の優位性)」。
もう1つは Noah Smith の「Does anything I write matter anymore?(自分の書くものは、もう意味を持たないのか?」。
どちらも、AIによってコンテンツが無限に生成される時代に、書き手の価値はどこにあるのかを問う記事だった。読んでいるうちに、自分の中で漠然と感じていたことが、はっきりと言葉になっていった。
まずは、それぞれの記事を簡単に紹介したい。
Jasmine Sun ─ AIに代替されない「人間の領域」
Jasmineは、AI時代に価値が下がるスキルと、上がるスキルを4つの対比で整理している。
要約の価値は下がり、「秘密」の価値が上がる
報道とは、私的な知識を公にする行為だ。内部告発や、誰も書いたことのない辺境の町、潜り込んだ地下パーティー ── こうした「学習データが存在しない領域」にこそ価値がある。AIは要約やリミックスはできても、「見る・感じる・特ダネを掴む」ことはできない。静的なコンテンツの価値は下がり、ライブな交流の価値が上がる
AIが文体を模倣できる時代、読者は「書き手が実在する人間だ」と感じたがる。舞台裏の動画がバズるのは、最終成果物だけでなく「制作の証」を見たいからだ。官僚機構の価値は下がり、ファウンダーの価値が上がる
AIは役割の境界を曖昧にし、一人がデータサイエンティストもプログラマーもマーケターも兼ねられる。「何でも屋」にこそAIが大きな価値を与える。洗練の価値は下がり、個人のカリスマ・スタイル・奇妙さの価値が上がる
重要なのは情報の質だけではなく「誰が言うか」。個人のブランド・信頼・実績・声が強いほど有利になる。
そして彼女はこう締めくくっている。
「独立した書き手であることは、今が最高の時代だ」と。
Noah Smith ─ 自分の書くものは、もう意味を持たないのか?
一方のNoahは、プロのブロガーとして、自分の仕事の影響力が以前より下がっていると感じる3つの理由を挙げている。
ポピュリズム── 知性が負債になる
トランプ第2政権では、賢いアイデアが採用される見込みが薄い。関税もMAHAも、知的な議論ではなく「個人崇拝」で動いている。議論する相手がいない。マネタイズ── 知識人がサイロ化する
Substackのメール配信による収益化が、「読者(顧客)に奉仕する時間」を増やし、「書き手同士が対話する時間」を減らした。アイデアは対話から生まれるのに、コンテンツ制作が人を一方通行のサイロに閉じ込める。AI── 読者の注意力が限界まで引き伸ばされる
良質なコンテンツが無限に生成される世界では、読者がどこに注意を割くか決められなくなる。10本を精読する代わりに100本を流し読みするようになれば、たとえ自分のブログが読まれ稼げても「本当には届いていない」。
ただしNoahも悲観一辺倒ではない。AIは自己生成物だけを学習すると劣化するため、人間の書き手の文章が次世代AIの学習データとして影響力を持ちうる。
実際、彼自身がAIに頻繁に引用・推薦されているという。
ここからは、この2本を読んで感じたことを書いていきたい。
「何を書くか」より「誰が書くか」
「何を書くか」よりも、「誰が書くか」が大事になっているという実感は、確かにある。
自分自身も、日々の生活の中で「検索して辿り着いた、誰が書いたか分からない文章」を読む頻度が、劇的に減った。代わりに、AIに聞くという行動をするようになった。
一方で、信頼できる人の情報をもっと欲しいという欲求は、強くなった。AIに聞いても分からないような、リアルな体験や、どんな感情だったか、そして、コミュニティ限定のクローズドな情報。信頼関係があるからこそ教えてくれるような情報の価値が、相対的に非常に高まったと感じている。
この記事も、AIに助けられている
正直に言うと、この記事を書く上でも、僕はAIに非常に助けられている。
元々Substackを読むという習慣は「英語学習のため」だったので、それを読んだ上で記事を書くという行動は、かなり手間がかかる。一度英語で読んだ記事をAIに要約してもらい、その後に自分の意見を述べていく形にしたことで、執筆そのもののやる気が出るようになったのが大きい。書き始めてさえしまえば、なんだかんだ人間は慣性で書き終えるまで熱中してしまうものだ。
AIによってコンテンツが無限に生成されるため、今までにも増して人々が膨大な情報に晒されてしまい、自分のコンテンツが届く可能性が下がってしまう ── というのは、まさにその通りだと思う。
だからこそ、「誰が書いているのか」「オリジナリティのある情報が書かれているのか」が、より重要になるのだろう。
ファウンダーのような「個人」が際立つ時代
そうした時代において、スタートアップのファウンダーのような「個人」が際立つ仕事は、とても相性が良いと思う。
エッジの効いたことをやって、自分にしかできない体験をすることに価値がある以上、組織の中ではそうした動きが取れずに、オリジナリティが発揮できないことが多い。仮に大きな組織の中にいるのであれば、その中でも特異な仕事をしている人ほど有利になる。
裏を返せば、AI時代に価値を持つのは、誰かに代わってもらえる仕事ではなく、「その人だからできること」をしている個人なのだと思う。
僕がこのShibuyanalysisで書こうとしているのも、まさにそういうことだ。
英語で読んだ最先端の情報をAIの力を借りて噛み砕き、そこに、地方で上場した起業家という、自分にしか書けない視点を乗せていく。
AIに聞けば分かる情報ではなく、「渋谷修太という人間が、何を読んで、何を感じ、何を考えたか」を届けていきたい。

それが、AI時代における、僕なりの「誰が書くか」なのだと思う。
記事の中身というよりも、「渋谷修太という人間が何を考えているのか」に興味を持っていただけた方は、ぜひSubstackを購読(登録)してもらえると嬉しいです!
参考記事:
Jasmine Sun, “The independent writer’s advantage in the age of AI” (Substack)
Noah Smith, “Does anything I write matter anymore?” (Noahpinion)




