少し前になるが、アメリカが建国250周年を迎えた。
2026年7月4日。この日に合わせて、僕が購読しているSubstackにも、250年をテーマにした記事が相次いで届いた。ひとつはNoah SmithのNoahpinionから「The American age was the human age」、もうひとつはa16zのDavid Ulevitchから「America: The Next 250 Years」。
今回は、この2本の記事を紹介しながら、実際にアメリカで250周年を迎えた日本人として感じたことを書いてみたい。
「250」という英単語を、初めて知った
まず告白すると、僕は「Semiquincentennial(250周年)」という英単語を、今回初めて知った。
250周年に、専用の単語があるのだ。こういった数字に名前をつける発想が、自分からするととても新しい。日本語で「250周年」は、あくまで「250回目の周年」であって、それ自体が固有の名前を持つことはない。でもアメリカでは「America 250」というブランドまで作って、国を挙げて祝っている。
正直に言えば、米国に来るまでは、250周年と聞いても「ふーん」くらいの感想だった。こちらに来てからも、しばらくはあまりその意味が分かっていなかったと思う。
それが、この土地での生活に慣れてきて、はじめて意味が分かってきた気がするのだ。
Noahの記事 ─ 250年への郷愁と警鐘
Noahの記事は、意外なところから始まる。中国の王朝の寿命だ。
清は268年。明は276年。栄華を誇った唐でも289年。つまり、250歳を迎えたアメリカは、歴史上の大帝国たちの「寿命」に近づきつつある、というのだ。
Noahの現状認識は複雑だ。経済は堅調でGDPは上昇トレンドを保っている。AI産業は世界を揺るがしている。一方で、まともな高速鉄道は作れず、インフラ建設は地域の拒否権で止まり、「過去が未来より価値を持つ」硬直化が進む。
そして彼が最も悲観しているのが、愛国心の低下だ。かつて突出して愛国的だったアメリカ人の国への誇りは、今や世界平均を下回ってしまったという。「誰もこの国を救う価値があると思わないなら、どうやってこの国は救われるのか?」という彼の問いは、重い。
それでもNoahは、アメリカが300周年まで存続する可能性に賭けつつ、視点をさらに引き上げる。AIが思考を担うポストヒューマンの世界では、国民国家そのものが必要なくなるかもしれない。だからこの250年は、アメリカの時代であると同時に「人間の時代」── 人類が高次の知性の助けなしに偉大になった時代 ── だったのだ、と。
a16zの記事 ─ 次の250年を「作る」宣言
一方のa16zは、対照的に力強い。
「アメリカは常にビルダー(建設者)の国だった」── 憲法起草者から、産業界の巨人、現代のエンジニアまで。250年かけて未開の大陸を超大国に変えたのは、この「創る」という性格そのものだった、と。
危機感も強烈だ。米国はかつて最重要技術64分野のうち60でリードしていたが、今や中国が57分野をリードし、米国はわずか7分野。しかし変化は加速している。かつて防衛大手が30年かけた規模の政府プログラムを、今のスタートアップは5年未満で獲得する。
締めの一文がふるっている。
「自由が世界のオペレーティングシステムであるなら、我々は命がけでそれに資金を投じなければならない」
たった250年で、国はここまで進化するのか
2本を読んで、そしてこの土地で暮らして、僕が一番思うことはこれだ。
たったの250年で、こんなに国は進化するのか。
250年前、ここは植民地だった。そこから独立を勝ち取り、大陸を開拓し、鉄道、自動車、航空機、コンピュータ、インターネット、そしてAIと、次々に世界をリードする産業を生み出してきた。世界中から才能が集まり、その才能をテクノロジーがブーストする。この繰り返しで、世界一の超大国になった。
こちらで暮らしていて気づくのは、どこかしこに掲げられているアメリカの国旗だ。家の前に、店先に、学校に、当たり前のように星条旗がはためいている。国に誇りを持つということが、日常の風景に埋め込まれている。(Noahは愛国心の低下を嘆いていたが、日本から来た身からすると、それでもまだ十分すぎるほど愛国的に見える。笑)
そして、僕が最も日本との違いを感じるのは、アメリカの国歌だ。
Oh say can you see, by the dawn’s early light...
And the rocket’s red glare, the bombs bursting in air, Gave proof through the night that our flag was still there
O’er the land of the free and the home of the brave
この歌詞には、戦火の中で勝ち取った独立と、自由と勇気の精神が、そのまま表れている。そしてアメリカ人は、スポーツの試合のたびに、この歌をみんなで歌い、それを思い出すのだ。
結局、国の力とは、そこに集まる人たちの想いの総力なのではないか。
Noahとa16zの2本は、一見正反対のトーンだが、実は同じことを言っている。Noahは「国の未来を信じる人がいなければ国は救えない」と憂い、a16zは「ミッションを信じるビルダーたちが次の250年を作る」と宣言する。つまりどちらも、国力の源泉を制度やGDPではなく、人々の想いに置いているのだ。
今の日本に足りないものはなんなのか、なんとなく分かった気がした。
一方で、アメリカにないもの ─ 「歴史」と「文化」
ただ、ここからが今日一番書きたかったことだ。
アメリカには、日本のような長い歴史はない。たったの250年。歴史の教科書にしたときに、ボリュームが全然違うのだ。日本の歴史の教科書が縄文から始まる分厚い一冊だとしたら、アメリカ史はその最後の数章分しかない。
在米が長い日本人の方が、こんなことを言っていた。
「アメリカ人は、文化に憧れがあるんだよ」と。
それはそうだ、と思った。文化は、歴史と共に醸成されるものだからだ。250年でビルドできるものは驚くほど多いが、1000年かけて醸成されるものは、どうやってもビルドできない。
このことについて考えていたときに思い出したのは、自分が暮らしていた2つの街、「柏の葉」と「新潟」のことだ。
柏の葉は、フラーが本社を構えていた街で、スマートシティとして洗練された素晴らしい街だった。ただ、正直に言えば、文化はあまり感じなかった。計画的に作られた街には、まだ歴史が堆積していないからだ。
一方で、故郷の新潟は、正直なところスマートシティ感は全くない。笑
でも、そこには確かに文化があった。
米、酒、雪国の暮らし。小千谷の錦鯉、燕三条の金属加工、長岡の花火。これらは全て、何百年という歴史と共に醸成されてきた文化だ。効率やテクノロジーだけでは、絶対に作れないもの。
そして気づいたのだ。これこそが、まさにアメリカで求められているものなのではないか、と。
250年でビルドの限界を知る国と、1000年の文化を持て余している国。この組み合わせには、日本にとって大きなチャンスがあるはずだ。
なぜ僕は、新潟から遠く離れたこの場所にいるのか
日本にいた頃の僕は、「新潟の文化」を当たり前のものとして見ていた。米も酒も花火も、あって当然の日常だった。
それが、故郷から遠く離れた、歴史の浅い最先端の場所に身を置いてはじめて、その価値が輪郭を持って見えてきた。
こういった感覚を身をもって実感するために、自分は故郷の新潟から遠く離れた、この最先端の場所にいるのかもしれない。
アメリカが次の250年をビルドしようとしている今、日本は1000年の文化を、世界に届けはじめるときなのだと思う。
今後も引き続きアメリカで感じたことを綴っていきますので、気になる方はぜひ購読してみてください!
参考記事:





